レイモンド・チャンドラーによる「黄衣の王」

 『トゥルー・ディテクティブ』以前に海外テレビドラマで“黄衣の王”に言及した作品が、『私立探偵フィリップ・マーロウ』の中の一話「黄色いキング」というエピソード。原題は"The King in Yellow"なので、まんま「黄衣の王」である。
 と言っても、キング・レオパルディというミュージシャンが黄色いパジャマを愛用しているので、“黄色いキング”と呼ばれる場面があるというだけなのだが。
 原作はレイモンド・チャンドラーの中編で、小説の翻訳でも創元版(稲葉明雄訳『事件屋稼業』所収)、早川版(田村義進訳『レイディ・イン・ザ・レイク』所収)ともに「黄色いキング」となっている。
 小説では、主人公の探偵が黄色いパジャマ姿で死んでいるキングを見つけた際に、「黄色いキング。そんなタイトルの本を読んだことがある」(田村訳)と言う。ここで言われている「黄色いキング」という本とは、チェンバースの小説『黄衣の王』のことなのだろう。普通に考えればそうなる。だが、少し深読みするとチェンバースの連作中に登場する戯曲の「黄衣の王」を読んだことがあると言っているようにも思える。そう考えると、呪われた戯曲を読んだ者が、奇妙な事件に巻き込まれるという『黄衣の王』連作の一部であるかのようだ。
 つまり、チャンドラーの「黄色いキング」はハードボイルド探偵小説でありながら、「キング・イン・イエロー」というタイトルを梃子に、だまし絵のように一瞬だけ幻想小説の世界に迷い込んだと錯覚させる、そんな仕掛けになっているのである。

『トゥルー・ディテクティブ』はクトゥルー神話か?

[!ネタバレしています。]

 テレビドラマ『トゥルー・ディテクティブ』は、ハードな作風の刑事ものでありながら、作中で“カルコサ”や“黄衣の王(イエロー・キング)”に言及され話題になった。
 しかし、これはクトゥルー神話なのか?
 とにかく、関連用語が出てくればそれはクトゥルー神話なのだ、という立場をとるならば『トゥルー・ディテクティブ』はじゅうぶんその資格がある。
 だが、作中で言及される用語が“カルコサ”と“黄衣の王”の二つのみであることを考えると、この作品をあえてクトゥルー神話と呼ぶのは、少しおかしい気もする。“カルコサ”はアンブローズ・ビアスの小説が初出で、ロバート・W・チェンバース(あるいはチェイムバーズ)の『黄衣の王』の中でも使われた。その『黄衣の王』が発表されたのは1895年。つまりいずれも、ラヴクラフト以前からの用語である。
 ならば、『黄衣の王』連作に属する作品と考えてはどうか。と言って、これもおかしい。『黄衣の王』連作は、奇妙な出来事を描いた短編それぞれの主人公が、どこかで戯曲の「黄衣の王」を手にしているというものだからだ。『トゥルー・ディテクティブ』では戯曲としての「黄衣の王」が登場するわけではなく、“イエロー・キング”とはオカルト儀式殺人を行っている犯人の信仰の対象である。その意味では、やはりクトゥルー神話化した“黄衣の王”のイメージなのかもしれない。
 もう一つ、直接、神話用語とは言えないが、このドラマでは「緑の耳のスパゲッティー怪物に追いかけられた」という被害者の証言が出てくる。クトゥルー神話的な雰囲気に加えて“スパゲッティーモンスター”とくれば、これは「ダンウィッチの怪」のような状況を連想させたいのではないか。とはいえ、このドラマでは、怪奇作品的な意味での本物の怪物が出てくるわけではない。あくまで刑事もののミステリー・ドラマなのだ。
 ドラマで、間違った答えに誘導することをミスリードとかミスディレクションと言ったりする。
 そこでこの『トゥルー・ディテクティブ』を正確に位置づけるなら、クトゥルー神話をミスディレクションに用いたミステリー・ドラマ、となるだろう。

 ところで、『トゥルー・ディテクティブ』以前に海外ミステリー・ドラマで“黄衣の王”をネタにした作品がある。何かわかるかな。それについては次回。

ラヴクラフト以後のクトゥルー神話

 [ネタバレ注意! オーガスト・ダーレス『永劫の探求』、コリン・ウィルソン『賢者の石』、ロバート・ブロック『アーカム計画』の内容に触れています。

 ラヴクラフトの残した作品は、短編か長くても中編程度である。彼の死後、クトゥルー神話は次第に長編作品も書かれるようになった。ここでは、その代表的なものとしてオーガスト・ダーレス『永劫の探求』(『クトゥルー2』)、コリン・ウィルソン『賢者の石』、ロバート・ブロック『アーカム計画』の三作を題材に、ラヴクラフト以後のクトゥルー神話について考えてみたい。

 まずダーレスの『永劫の探求』(連作短編だが、実質、長編として読める)。内容は、盲目の老学者シュリュズベリイ博士がスカウトした若者を使い、“一人一殺”方式で邪神教団と戦うゴーストハンターものである。最後は原子爆弾クトゥルーの眠るルルイエへ投下する場面で終わっている。その結果クトゥルーを倒すことができたかどうかは、はっきりしない。
 ここがクトゥルー神話を書きつづけるうえで難しいところで、人類がクトゥルーに勝ってしまっては、そこで神話は終わってしまう。といって、勝てないことがはっきりしてしまっても、先をつづけるのは困難であろう。

 核兵器クトゥルーを攻撃したらどうなるのか――この問題にはっきりと答えを出したのがブロックの『アーカム計画』である。
 この作品は、「ピックマンのモデル」の絵が発見されるところからはじまり、徐々にラヴクラフトの作品世界が実在のものだったことが明かされていくのが第一部。第二部では、行方不明の夫を探す女性の視点を中心に、ナイアーラトテップの化身ナイ神父が率いる暗黒教団と人類防衛組織〈アーカム計画〉の戦いが描かれている。ここで核攻撃が行われ、クトゥルーはいったん消滅したものと思われる。しかし、近未来を舞台にした第三部の結末でクトゥルーは復活する――という構成となっている。
 なぜ、クトゥルーは復活できたのか。この作品では、ヨグ=ソトースがクトゥルーの情報を保存したバックアップのような存在として設定され、ナイアーラトテップはその管理者として描かれているのである。第二部のラストシーンは「ダンウィッチの怪」のラヴィニアのように女性がヨグ=ソトースの生贄にされる場面である。第三部が近未来になるのは、その時の子供が成長する期間を置く必要があったためなのだ。その成長した子供がクトゥルーへと変身するのであった(この解釈からすると「ダンウィッチの怪」は、正当な管理者抜きでヨグ=ソトースの召喚を行ったために、怪物的な落とし子が生まれてしまった話ということになる)。
 つまり、核攻撃によってクトゥルーを消滅させることは可能である、しかしヨグ=ソトースがいるかぎり何度でも復活させられる、というのがブロックが描いた世界なのである。
 たとえ核兵器を用いても人類はクトゥルーの眷属たちに勝つことはできない――このような結論のあとで、神話をさらに発展させることは可能だろうか。

 そこで重要なのが、ウィルソン『賢者の石』である(書かれたのは『アーカム計画』より前だが)。この作品ではクトゥルーにも言及されるが、主なテーマは〈精神進化〉である。軍事力による抵抗が無意味ならば、次に考えるべきは精神の戦いというわけである。
 この作品の〈精神進化〉とは、端的に言って超能力を得ることと言える。主人公たちは、脳に金属片を埋め込む手術によって超能力を使えるようになる。その能力とは、いわゆるサイコメトリーの強力なもので、超古代におけるムー大陸の滅亡を見通すことができ、人類とクトゥルーとの関わりを知ることができる。ウィルソンの描くクトゥルーは、海底で眠った状態にあっても人類の精神を支配し、その能力を制限しているのだ。
 『賢者の石』における超能力は、そうした過去の歴史を知る能力である。ここからさらに発展したものを考えるなら、超能力者が邪神群と直接対決するような作品となるだろう。そうなるとそれはもう、元来の〈ラヴクラフト型〉の神話から離れて、〈スペースオペラクトゥルー神話〉とでも呼ぶべき領域になる。そこに位置付けられるのが、ブライアン・ラムレイタイタス・クロウ・サーガ》や風見潤クトゥルー・オペラ』、栗本薫『魔界水滸伝』といった作品である。
 つまり、ウィルソンの『賢者の石』は、〈ラヴクラフト型〉と〈スペースオペラ型〉、その境界線上に位置する作品で、クトゥルー神話の一つの〈臨界点〉を示しているのである。

クトゥルー神話の定義

 「クトゥルー神話の定義」は何か。
 まず、ラヴクラフトの存命期とその死後では事情が違うので、分けて考える。
 ラブクラフトが現役だった時期を《生成期》、死後を《発展期》と呼ぶことにする。
 《生成期》には、まだクトゥルー神話という枠組みは意識されておらず、作家たちが行っていたのは、内輪の密かな遊びとして、邪神や魔道書の名を共有することだった。これは普通の読者なら気づかない細部であり、いわば〈細部のクロスオーバー〉とでも呼ぶべきものである。
 クロスオーバーというのは通常、スーパーマンバットマンのように有名キャラクターの共演を指すのだが、〈細部のクロスオーバー〉では、一般の読者が気づかないうちに要素の共有が進行し、いつの間にかネットワークが広がっていることに特徴がある。


 《生成期》に展開されたネットワークを再利用して構築されたのが《発展期》のクトゥルー神話である。これは、いわゆる〈シェアドワールド〉に近いものといえる。
 ただ、通常のシェアドワールドと違うのは、管理者や公式設定が存在しないことで、そのため作家間での設定の違いは普通に生じている。
 しかしそれでさしたる混乱も生じることなく、一つの神話体系であるかのごとくに展開している。これはなぜか?
 ラヴクラフトの小説というのは大概、古い魔道書の世界が、現代に再現されるという構成になっている。そして、後の世代の作家がラヴクラフトを意識して作品を書いた場合、ラヴクラフトの作品世界が現代に再現されるという構成になる。そこで設定に矛盾が生じたとしても、記録と現実という審級の違いとして解決されることとなる。「資料にはこう書かれているが、現実はこうだ」というふうに。
 つまり、通常のシェアドワールドが、一つの地図や一つの年表など同一平面上に位置づけていくことで作品を増やすのに対して、クトゥルー神話では、新たな作品は、過去の作品のメタレベルに位置づけられていくことになる。
 このことは、クトゥルー神話では、作中のアイテムである魔道書も、過去の神話作品も同列の〈オブジェクト(物、対象)〉として扱われることを意味している。じっさい、オーガスト・ダーレス、ロバート・ブロック、コリン・ウィルソンらの作品ではラヴクラフトの小説が作中の資料として登場している。
 例えば次のように。

 マサチューセッツ州アーカムミスカトニック大学に電報を打って、アブドゥル・アルハザードと称するアラブ人の作家が著した、『ネクロノミコン』として知られる書物の写しが、研究のために利用できるかどうか確かめてくれ。『ナコト写本』と『エイボンの書』についても問い合わせをして、昨年アーカム・ハウスが出版したH・P・ラヴクラフトの『アウトサイダー及びその他の物語』が、地元の書店で手に入るかどうか調べてくれ。こうした本がすべてそろえば、いや一冊でもあれば、ここに出没するものがなんであるかを判断するうえで役立つかもしれない。
  オーガスト・ダーレス「闇に棲みつくもの」(岩村光博訳)

 『ネクロノミコン』はラヴクラフトの小説内の一要素だが、『アウトサイダー及びその他の物語』はラヴクラフトの作品集で、個々の小説よりメタレベルに位置している。これらを要素として含む「闇に棲みつくもの」はさらにメタレベルにあるということになる。そして新たに、この小説を資料としてクトグァ召喚の方法を知るといった作品も書かれうるのである。
 このような構成を指して〈オブジェクト指向〉と呼ぶことができる。
 つまり〈オブジェクト指向のシェアドワールド〉、これが《発展期》のクトゥルー神話の特徴である。
 
 《発展期》のクトゥルー神話では、作中の世界にラヴクラフトの小説が存在している。そして、それはただ虚構の小説としてあるのではなく、真実の記録と見なされていなければならない。そうでなければ、クトゥルーも『ネクロノミコン』もたんに架空の存在ということになってしまうだろう。
 だから今、クトゥルー神話の定義を考えるとすれば、それは、

  ラヴクラフトの小説を真実の記録と見なす立場での創作

 と、なるのである。

クトゥルー神話の分類

 ラヴクラフトの作品というのは、いくつかの単純な型があって、その型がくりかえし使われながら、より複雑な作品へと発展していっている。
 その型(形式)がシンプルに現れている短めの作品を挙げると、以下の五作となる。

  「ダゴン」「神殿」「魔宴」「ピックマンのモデル」「彼方より」

 では、それぞれに名前を付けて、どんなパターンかを以下で説明する。
 自分でクトゥルー神話の創作をしてみたいという人にも参考にしてもらえたらと思う。

1.猟犬型「ダゴン」

 狙った人間を猟犬のようにどこまでも追跡してくる魔物の話ということで《猟犬型》。
 だいたい次のようなパターン。

  遭難や探検の結果、遺跡のような場所に迷い込む
   ↓
  そこで邪神の存在を実感するような出来事が起こる
   ↓
  主人公は逃げ出してひとまず安全な場所にたどり着く
   ↓
  体験を伝える手記などを書いていると魔物に襲われる

 他の作家の作品では、ロバート・E・ハワード「屋根の上に」やフランク・B・ロング「ティンダロスの猟犬」などがある。
 「ダゴン」が手記がそのまま作品になっているのに対して、この二作は友人の出来事を伝える形になっている。

 もう一作、ブライアン・ラムレイ『地を穿つ魔』の中の第三章「迫りくる危機」も《猟犬型》の手記になっている。このように手記型の短編は、長めの作品の一部に組み込んで使われることもある。

2.神殿型「神殿」

 神殿のような場所に人間が引き寄せられていくパターンが《神殿型》。
 《猟犬型》が身体を物理的に傷つけられるのに対して、《神殿型》は精神を冒される型。

 この型のパターンは例えば次のようなもの。

  旅の途中で不吉な出来事が起こる
   ↓
  特定の方向に引き寄せられていく
   ↓
  何とか抵抗しようとするが逃れられない
   ↓
  邪神と遭遇し狂気におちいる

 他の作家の作品では、ロバート・ブロック「無貌の神」やクラーク・A・スミス「ウボ=サスラ」がある。
 「無貌の神」は砂漠を円環状に回ってしまう話、「ウボ=サスラ」は時間をさかのぼって過去へ引き寄せられる話。
 この二作を掛け合わせると時間が円環になる話になって、つまりタイム・ループものになる。

3.血族型「魔宴」

 主人公自身がじつは邪悪なものの血族だったことを知る話、これが《血族型》。
 パターンはこんな感じ。

  観光や調査などで小さな村を訪れる
   ↓
  村の住民は同じ血族らしい特徴がある
   ↓
  村人の行動に危険を感じ逃げ出す
   ↓
  自分も同じ血族だったことを知る

 他の作家で参考になる作品は、ヘンリー・カットナー「クラーリッツの秘密」やオーガスト・ダーレス「ルルイエの印」など。
 ラヴクラフトでは「インスマウスの影」も《血族型》。
 この型というと〈深きもの〉テーマになりがちだが、「魔宴」や「クラーリッツの秘密」は妖術師の子孫だし、〈(邪神名)の落とし子〉という形で新たな血族設定を作ることも可能だろう。

4.再現型「ピックマンのモデル」

 幻想と思って目にしたものが、現実のものとして再現されるのが《再現型》。
 夢だと思われたものが現実だったという展開で、いわゆる夢オチの逆。

 パターンはだいたい次の通り。

  幻想的で悍ましい芸術作品を目にする
   ↓
  その作者の素性が明かされる
   ↓
  作者のもとを訪ね話を聞く
   ↓
  作品のモデルが実在していたことを知る

 この型の参考作品は、C・A・スミス「彼方よりのもの」やロバート・ブロック「暗黒のファラオ神殿」がある。
 ラヴクラフトでは「クトゥルーの呼び声」もこの型。
 クトゥルー神話の多くの作品が〈ラヴクラフトの小説は現実だった〉という構成なので、この《再現型》が、クトゥルー神話の基本形といえるだろう(ここからクトゥルー神話の定義を考えることができるが、それは次回書く)。

5.召喚型「彼方より」

 邪神の召喚が行われ、それが阻止されるのが《召喚型》。
 基本的なパターンは以下の通り。

  友人に呼び出されるかあるいは訪ねていく
   ↓
  友人は狂気に冒されている様子
   ↓
  邪神召喚の実験や儀式が始められる
   ↓
  邪神が姿を見せるが侵入は阻止される

 この型の参考作品は、ヘンリー・カットナー「セイレムの恐怖」やオーガスト・ダーレス「闇に棲みつくもの」など。
 ラヴクラフトでは「ダンウィッチの怪」もこの型。
 この《召喚型》の主人公を、他の作品でもくりかえし怪異に立ち向かうような連作にすると、いわゆる〈ゴーストハンターもの〉になる。

ラヴクラフトの中編

 ラヴクラフトの後期の中編のうちドリームランドものの幻想譚「未知なるカダスを夢に求めて」は別にして、他の三篇は上記の形式の発展形と言える。
 人類の起源が明かされる「狂気の山脈にて」は《血族型》(もはや血族という概念は超えているが)。
 主人公が当初、精神交換の間の出来事を夢として認識している「時間からの影」は《再現型》。
 異界のものから知識を得ようとする妖術師を描いた「チャールズ・ウォードの奇怪な事件」は《召喚型》。

 さらにこの三作には、新たに《天敵型》とでも呼ぶべきパターンがあらわれている。簡単に言うと「上には上がいる」といった形式。つまり、まず人類の脅威になるような強敵が現れ、そして結末では、その敵が恐れる敵、すなわち〈天敵〉の存在が明らかになる。
 「狂気の山脈にて」の古きものに対してのショゴス、「時間からの影」の偉大な種族に対してのポリプ状生物、「チャールズ・ウォードの奇怪な事件」のジョゼフ・カーウィンに対しての杯からあらわれたもの、これらが〈天敵〉にあたる。

掌編「黄色い部屋」

「――さんですね」
 喫茶店でコーヒーを待っていると、見知らぬ男が勝手に向かいの席について私の名を呼んだ。
 痩せた小柄な男で、大きなシルクハットをかぶり、派手なスーツを着ていた。まるで『不思議な国』のきちがい帽子屋だ。
「あんたゲームデザイナーなんだって」
 男は、私の職業も知っていた。数年前、同人ゲームで公開したRPGがヒットし、有名メーカーに採用されシリーズ化された。現在もスマホ用アプリなどで新作が出ている。
「あんたのためにシナリオの原案を書いて来たんだ」そう言って男は灰色のノートを差し出した。こんな所で揉めたくもなかったので、とりあえず受け取っておいた。
「そこに書いてあるのは前半だけなんだ。後半はギャラの相談をしてから渡す」
 男は自信たっぷりにそう言うと、連絡先を書いたメモを置いて立ち去った。
 読んでみると、意外と悪くない内容だった。一種の宮廷陰謀劇で、予言者の詩のとおりに王国が災厄に見舞われ、国王が追放されるまでが描かれていた。
 このままでゲームになるものではなかったが、少し手を加えれば使い途はあるかもしれない。とにかく続きが読みたかった。
 夕刻、メモに書かれていた下手な地図をたよりに、私は男を訪ねた。
 そこは廃工場だった。夕焼け空が、奇怪な配管の突き出たシルエットを浮き彫りにしていた。あの男はこんな所に住んでいるのだろうか。
 開いていた通用口をくぐって、ゴミの散らかった敷地に入っていった。
 その時、頭上で「ギャーッ」という叫び声が聞こえた。
 見上げると、巨大なコウモリのようなものの影が羽ばたいていた。シルクハットの男が壊れた人形のように鉤爪のある肢につかまれていた。怪鳥の影は一瞬後、幻のように消えた。
 私は工場の中で人が寝泊まりしていたらしい部屋を見つけた。壁全面が黄色い。まだ湯気の立っている紅茶がテーブルに置かれていたが、誰もいない。
 紅茶の横に灰色のノートがあった。中にはあの原案の後半らしきものが書かれていた。もう一冊、古びた冊子があった。内容を見ると、これが原案のネタ本らしい。その表紙に記されたタイトルは、『黄衣の王』……

カリオストロの魔道書

 コリン・ウィルソンは『魔道書ネクロノミコン』に寄せた「序文」の中で、『ネクロノミコン』はカリオストロが所有していて、それがエジプト・フリー・メイスンの一員だったウィンフィールド・ラヴクラフトHPLの父)の手に渡ったのではないか、という説を書いている。
 カリオストロと魔道書――この組み合わせからはいろいろと連想が広がる。
 たとえばそれは、ある日本の探偵小説にも登場している。
 他でもない小栗虫太郎黒死館殺人事件』である。発表されたのは1934年、ラヴクラフトでは「時間からの影」と同年の作品ということになる。
 この『黒死館殺人事件』には、『ウイチグス呪法典』という魔道書が登場する。かの名探偵・法水麟太郎も「いや、真実恐ろしい事なんだよ。もし、ウイチグス呪法書が黒死館のどこかに残されているとしたら、犯人の外に、もう一人僕等の敵がふえてしまうのだからね」と言っているほどで、かなり強力な魔道書であることをうかがわせる。
 さらに『ウイチグス呪法典』についての発言を以下に引用する(ルビは省略)。

ウイチグス呪法典はいわゆる技巧魔術で、今日の正確科学を、呪詛と邪悪の衣で包んだものと云われているからだよ。元来ウイチグスという人は、亜刺比亜・希臘の科学を呼称したシルヴェスター二世十三使徒の一人なんだ。ところが、無謀にもその一派は羅馬教会に大啓蒙運動を起こした。で、結局十二人は異端焚殺に逢ってしまったのだが、ウイチグスのみは秘かに遁れ、この大技巧呪術書を完成したと伝えられている。それが後年になって、ボッカネグロの築城術やヴォーバンの攻城法、また、デイやクロウサアの魔鏡術やカリオストロの煉金術、それにボッチゲルの磁器製造法からホーヘンハイムやグラハムの治療医学にまで素因をなしていると云われるのだから、驚くべきじゃないか。

 と、いう具合に「カリオストロの煉金術」の「素因」として言及されている(その手前の「デイ」という名は『ネクロノミコン』の英訳者ジョン・ディー博士のことだろう)。
 呪法書の作者ウイチグスは「シルヴェスター二世十三使徒の一人」とされている。この「シルヴェスター二世(ローマ教皇・シルウェステル2世)」とは、ハンガリー王イシュトヴァーンに王冠を授けた人物として知られ、アラビア数字を西欧世界で用いた初期の人物と目されてもいる。
 さらに興味深い“伝説”がウィキペディアに記されている(ジェルベールというのはシルヴェスター二世の本名)。

アラブ人の教師はジェルベールに魔法を教えたが、人が知りうるすべての事柄を記した書物を手渡すことだけは拒んでいた。ジェルベールは師の娘を誑かし、師を酒で酔わせ、その書物を奪った。アラブ人はすぐに追ったが、ジェルベールは悪魔と契約して海を飛び越えて追っ手を撒いた

シルウェステル2世 (ローマ教皇) - Wikipediaより

 アラブ人が所有する「人が知りうるすべての事柄を記した書物」と言えば、クトゥルー神話のファンならば『ネクロノミコン』の原典『アル・アジフ』を連想するのではないか。
 つまり、シルヴェスター二世は『アル・アジフ』を入手していた可能性があり、それは、高弟のウイチグスに託されたかもしれない。それをウイチグスが翻訳した際に自らの名を冠して『ウイチグス呪法典』としたのではないか。だとすれば、黒死館に所蔵されていた魔道書の正体とは、実質『ネクロノミコン』だったと考えることもできるのである。

 カリオストロと言えば他にも、ロシア最初のSF作家と言われるトルストイ(『戦争と平和』の作者とは別人)に「カリオストロ」と題された短編があるが、これもカリオストロ本人が死霊召喚を行なったために起こる騒動を描いており、『ネクロノミコン=死霊秘法』から得た知識を用いた結果の出来事と考えることもできる。
 さらには、アルセーヌ・ルパンカリオストロ伯爵夫人の暗闘の背後に存在し、さらにさらに、ルパン三世カリオストロ公国へ赴いた本当の目的もまた、この『ネクロノミコン』だったのかもしれない。