カリオストロの魔道書

 コリン・ウィルソンは『魔道書ネクロノミコン』に寄せた「序文」の中で、『ネクロノミコン』はカリオストロが所有していて、それがエジプト・フリー・メイスンの一員だったウィンフィールド・ラヴクラフトHPLの父)の手に渡ったのではないか、という説を書いている。
 カリオストロと魔道書――この組み合わせからはいろいろと連想が広がる。
 たとえばそれは、ある日本の探偵小説にも登場している。
 他でもない小栗虫太郎黒死館殺人事件』である。発表されたのは1934年、ラヴクラフトでは「時間からの影」と同年の作品ということになる。
 この『黒死館殺人事件』には、『ウイチグス呪法典』という魔道書が登場する。かの名探偵・法水麟太郎も「いや、真実恐ろしい事なんだよ。もし、ウイチグス呪法書が黒死館のどこかに残されているとしたら、犯人の外に、もう一人僕等の敵がふえてしまうのだからね」と言っているほどで、かなり強力な魔道書であることをうかがわせる。
 さらに『ウイチグス呪法典』についての発言を以下に引用する(ルビは省略)。

ウイチグス呪法典はいわゆる技巧魔術で、今日の正確科学を、呪詛と邪悪の衣で包んだものと云われているからだよ。元来ウイチグスという人は、亜刺比亜・希臘の科学を呼称したシルヴェスター二世十三使徒の一人なんだ。ところが、無謀にもその一派は羅馬教会に大啓蒙運動を起こした。で、結局十二人は異端焚殺に逢ってしまったのだが、ウイチグスのみは秘かに遁れ、この大技巧呪術書を完成したと伝えられている。それが後年になって、ボッカネグロの築城術やヴォーバンの攻城法、また、デイやクロウサアの魔鏡術やカリオストロの煉金術、それにボッチゲルの磁器製造法からホーヘンハイムやグラハムの治療医学にまで素因をなしていると云われるのだから、驚くべきじゃないか。

 と、いう具合に「カリオストロの煉金術」の「素因」として言及されている(その手前の「デイ」という名は『ネクロノミコン』の英訳者ジョン・ディー博士のことだろう)。
 呪法書の作者ウイチグスは「シルヴェスター二世十三使徒の一人」とされている。この「シルヴェスター二世(ローマ教皇・シルウェステル2世)」とは、ハンガリー王イシュトヴァーンに王冠を授けた人物として知られ、アラビア数字を西欧世界で用いた初期の人物と目されてもいる。
 さらに興味深い“伝説”がウィキペディアに記されている(ジェルベールというのはシルヴェスター二世の本名)。

アラブ人の教師はジェルベールに魔法を教えたが、人が知りうるすべての事柄を記した書物を手渡すことだけは拒んでいた。ジェルベールは師の娘を誑かし、師を酒で酔わせ、その書物を奪った。アラブ人はすぐに追ったが、ジェルベールは悪魔と契約して海を飛び越えて追っ手を撒いた

シルウェステル2世 (ローマ教皇) - Wikipediaより

 アラブ人が所有する「人が知りうるすべての事柄を記した書物」と言えば、クトゥルー神話のファンならば『ネクロノミコン』の原典『アル・アジフ』を連想するのではないか。
 つまり、シルヴェスター二世は『アル・アジフ』を入手していた可能性があり、それは、高弟のウイチグスに託されたかもしれない。それをウイチグスが翻訳した際に自らの名を冠して『ウイチグス呪法典』としたのではないか。だとすれば、黒死館に所蔵されていた魔道書の正体とは、実質『ネクロノミコン』だったと考えることもできるのである。

 カリオストロと言えば他にも、ロシア最初のSF作家と言われるトルストイ(『戦争と平和』の作者とは別人)に「カリオストロ」と題された短編があるが、これもカリオストロ本人が死霊召喚を行なったために起こる騒動を描いており、『ネクロノミコン=死霊秘法』から得た知識を用いた結果の出来事と考えることもできる。
 さらには、アルセーヌ・ルパンカリオストロ伯爵夫人の暗闘の背後に存在し、さらにさらに、ルパン三世カリオストロ公国へ赴いた本当の目的もまた、この『ネクロノミコン』だったのかもしれない。