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クトゥルー神話の定義

 「クトゥルー神話の定義」は何か。
 まず、ラヴクラフトの存命期とその死後では事情が違うので、分けて考える。
 ラブクラフトが現役だった時期を《生成期》、死後を《発展期》と呼ぶことにする。
 《生成期》には、まだクトゥルー神話という枠組みは意識されておらず、作家たちが行っていたのは、内輪の密かな遊びとして、邪神や魔道書の名を共有することだった。これは普通の読者なら気づかない細部であり、いわば〈細部のクロスオーバー〉とでも呼ぶべきものである。
 クロスオーバーというのは通常、スーパーマンバットマンのように有名キャラクターの共演を指すのだが、〈細部のクロスオーバー〉では、一般の読者が気づかないうちに要素の共有が進行し、いつの間にかネットワークが広がっていることに特徴がある。


 《生成期》に展開されたネットワークを再利用して構築されたのが《発展期》のクトゥルー神話である。これは、いわゆる〈シェアドワールド〉に近いものといえる。
 ただ、通常のシェアドワールドと違うのは、管理者や公式設定が存在しないことで、そのため作家間での設定の違いは普通に生じている。
 しかしそれでさしたる混乱も生じることなく、一つの神話体系であるかのごとくに展開している。これはなぜか?
 ラヴクラフトの小説というのは大概、古い魔道書の世界が、現代に再現されるという構成になっている。そして、後の世代の作家がラヴクラフトを意識して作品を書いた場合、ラヴクラフトの作品世界が現代に再現されるという構成になる。そこで設定に矛盾が生じたとしても、記録と現実という審級の違いとして解決されることとなる。「資料にはこう書かれているが、現実はこうだ」というふうに。
 つまり、通常のシェアドワールドが、一つの地図や一つの年表など同一平面上に位置づけていくことで作品を増やすのに対して、クトゥルー神話では、新たな作品は、過去の作品のメタレベルに位置づけられていくことになる。
 このことは、クトゥルー神話では、作中のアイテムである魔道書も、過去の神話作品も同列の〈オブジェクト(物、対象)〉として扱われることを意味している。じっさい、オーガスト・ダーレス、ロバート・ブロック、コリン・ウィルソンらの作品ではラヴクラフトの小説が作中の資料として登場している。
 例えば次のように。

 マサチューセッツ州アーカムミスカトニック大学に電報を打って、アブドゥル・アルハザードと称するアラブ人の作家が著した、『ネクロノミコン』として知られる書物の写しが、研究のために利用できるかどうか確かめてくれ。『ナコト写本』と『エイボンの書』についても問い合わせをして、昨年アーカム・ハウスが出版したH・P・ラヴクラフトの『アウトサイダー及びその他の物語』が、地元の書店で手に入るかどうか調べてくれ。こうした本がすべてそろえば、いや一冊でもあれば、ここに出没するものがなんであるかを判断するうえで役立つかもしれない。
  オーガスト・ダーレス「闇に棲みつくもの」(岩村光博訳)

 『ネクロノミコン』はラヴクラフトの小説内の一要素だが、『アウトサイダー及びその他の物語』はラヴクラフトの作品集で、個々の小説よりメタレベルに位置している。これらを要素として含む「闇に棲みつくもの」はさらにメタレベルにあるということになる。そして新たに、この小説を資料としてクトグァ召喚の方法を知るといった作品も書かれうるのである。
 このような構成を指して〈オブジェクト指向〉と呼ぶことができる。
 つまり〈オブジェクト指向のシェアドワールド〉、これが《発展期》のクトゥルー神話の特徴である。
 
 《発展期》のクトゥルー神話では、作中の世界にラヴクラフトの小説が存在している。そして、それはただ虚構の小説としてあるのではなく、真実の記録と見なされていなければならない。そうでなければ、クトゥルーも『ネクロノミコン』もたんに架空の存在ということになってしまうだろう。
 だから今、クトゥルー神話の定義を考えるとすれば、それは、

  ラヴクラフトの小説を真実の記録と見なす立場での創作

 と、なるのである。