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ラヴクラフト以後のクトゥルー神話

 [ネタバレ注意! オーガスト・ダーレス『永劫の探求』、コリン・ウィルソン『賢者の石』、ロバート・ブロック『アーカム計画』の内容に触れています。

 ラヴクラフトの残した作品は、短編か長くても中編程度である。彼の死後、クトゥルー神話は次第に長編作品も書かれるようになった。ここでは、その代表的なものとしてオーガスト・ダーレス『永劫の探求』(『クトゥルー2』)、コリン・ウィルソン『賢者の石』、ロバート・ブロック『アーカム計画』の三作を題材に、ラヴクラフト以後のクトゥルー神話について考えてみたい。

 まずダーレスの『永劫の探求』(連作短編だが、実質、長編として読める)。内容は、盲目の老学者シュリュズベリイ博士がスカウトした若者を使い、“一人一殺”方式で邪神教団と戦うゴーストハンターものである。最後は原子爆弾クトゥルーの眠るルルイエへ投下する場面で終わっている。その結果クトゥルーを倒すことができたかどうかは、はっきりしない。
 ここがクトゥルー神話を書きつづけるうえで難しいところで、人類がクトゥルーに勝ってしまっては、そこで神話は終わってしまう。といって、勝てないことがはっきりしてしまっても、先をつづけるのは困難であろう。

 核兵器クトゥルーを攻撃したらどうなるのか――この問題にはっきりと答えを出したのがブロックの『アーカム計画』である。
 この作品は、「ピックマンのモデル」の絵が発見されるところからはじまり、徐々にラヴクラフトの作品世界が実在のものだったことが明かされていくのが第一部。第二部では、行方不明の夫を探す女性の視点を中心に、ナイアーラトテップの化身ナイ神父が率いる暗黒教団と人類防衛組織〈アーカム計画〉の戦いが描かれている。ここで核攻撃が行われ、クトゥルーはいったん消滅したものと思われる。しかし、近未来を舞台にした第三部の結末でクトゥルーは復活する――という構成となっている。
 なぜ、クトゥルーは復活できたのか。この作品では、ヨグ=ソトースがクトゥルーの情報を保存したバックアップのような存在として設定され、ナイアーラトテップはその管理者として描かれているのである。第二部のラストシーンは「ダンウィッチの怪」のラヴィニアのように女性がヨグ=ソトースの生贄にされる場面である。第三部が近未来になるのは、その時の子供が成長する期間を置く必要があったためなのだ。その成長した子供がクトゥルーへと変身するのであった(この解釈からすると「ダンウィッチの怪」は、正当な管理者抜きでヨグ=ソトースの召喚を行ったために、怪物的な落とし子が生まれてしまった話ということになる)。
 つまり、核攻撃によってクトゥルーを消滅させることは可能である、しかしヨグ=ソトースがいるかぎり何度でも復活させられる、というのがブロックが描いた世界なのである。
 たとえ核兵器を用いても人類はクトゥルーの眷属たちに勝つことはできない――このような結論のあとで、神話をさらに発展させることは可能だろうか。

 そこで重要なのが、ウィルソン『賢者の石』である(書かれたのは『アーカム計画』より前だが)。この作品ではクトゥルーにも言及されるが、主なテーマは〈精神進化〉である。軍事力による抵抗が無意味ならば、次に考えるべきは精神の戦いというわけである。
 この作品の〈精神進化〉とは、端的に言って超能力を得ることと言える。主人公たちは、脳に金属片を埋め込む手術によって超能力を使えるようになる。その能力とは、いわゆるサイコメトリーの強力なもので、超古代におけるムー大陸の滅亡を見通すことができ、人類とクトゥルーとの関わりを知ることができる。ウィルソンの描くクトゥルーは、海底で眠った状態にあっても人類の精神を支配し、その能力を制限しているのだ。
 『賢者の石』における超能力は、そうした過去の歴史を知る能力である。ここからさらに発展したものを考えるなら、超能力者が邪神群と直接対決するような作品となるだろう。そうなるとそれはもう、元来の〈ラヴクラフト型〉の神話から離れて、〈スペースオペラクトゥルー神話〉とでも呼ぶべき領域になる。そこに位置付けられるのが、ブライアン・ラムレイタイタス・クロウ・サーガ》や風見潤クトゥルー・オペラ』、栗本薫『魔界水滸伝』といった作品である。
 つまり、ウィルソンの『賢者の石』は、〈ラヴクラフト型〉と〈スペースオペラ型〉、その境界線上に位置する作品で、クトゥルー神話の一つの〈臨界点〉を示しているのである。