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フィリップ・マーロウ・ミーツ・クトゥルー

 フィリップ・マーロウ・ミーツ・クトゥルーすなわち、私立探偵がクトゥルーと出会う。
 これが自分が見たい作品のイメージという気がする。
 「私立探偵」「クトゥルー」はそのものでなくても、それらしいものならいいことにして思いつく作品を並べてみよう。 

 フィリップ・マーロウの生みの親レイモンド・チャンドラークトゥルー神話的なものに接近した例が「黄色いキング」で、これは前回取り上げた。
 逆に、ラヴクラフトの側から探偵小説に近づいた例として「レッドフックの恐怖」がある。これは、退職した刑事の回想で、異界のものと出会うまでの体験が語らえている。クトゥルー・ハードボイルドといったジャンルがあるなら、この作品が起源ということになるだろう。
 あと、「クトゥルーの呼び声」の第二部は「ルグラース警部の話」で、邪神教団に対する捜査報告が内容の大半である。

 他にホラー作家による私立探偵ものでは、クライブ・バーカーの《血の本》シリーズの一作「ラスト・ショウ」が思い浮かぶ。奇術師の遺体の警護を依頼される探偵の話。

 チャンドラーの先輩格にあたる元祖ハードボイルド探偵作家がダシール・ハメット(『H・P・ラヴクラフト大辞典』にはこの人の項目がある)。ハメットには『デイン家の呪い』というオカルト色の強い探偵小説もあるが、代表作『マルタの鷹』にも微妙なオカルト要素がある。マルタ騎士団がスペインの皇帝に送った黄金の彫像《マルタの鷹》の由来が語られる際、そのマルタ騎士団について「テンプル騎士団のようなもの」と説明される。ただそれだけ。
 だが、この「テンプル騎士団」の一言に過剰反応して書かれたのがウンベルト・エーコフーコーの振り子』やセオドア・ローザック『フリッカー、あるいは映画の魔』である。いずれも現在に残存するテンプル騎士団の陰謀が出てくる。『フリッカー』のほうはポーの「大鴉」などには触れられるもののクトゥルー要素はなかったが、『フーコーの振り子』はクトゥルー神話関連作品といえる。

 ラヴクラフトとチャンドラーは、ともにアメリカ人でありながらイギリス文化に憧れ、詩人を志した。それでいて両者ともパルプ雑誌に小説を発表することとなる。
 チャールズ・ブコウスキーには『パルプ』という作品がある。これは私立探偵ものだが、パルプつながりでか宇宙人ネタも入っている。さほどラヴクラフト的ではないが。

 フィリップ・マーロウ・ミーツ・クトゥルーというイメージをごくシンプルにあらわしている作品を上げるとすれば、"The Long Tomorrow"というマンガがある。フランスのマンガ=バンドデシネの短編で作画はメビウス、原作はダン・オバノンである。
 内容はブレードランナー風の未来都市で、私立探偵が女から地下のコインロッカーの荷物を取り出してくるよう依頼され、途中、異星人の殺し屋に襲われたりもしつつ、最後には女の正体が物体Xみたいなグチャグチャの怪物と判明し、探偵はこれをブラスターの一撃で粉砕する、といったもの(残念ながら日本語版はない)。
 これと似た雰囲気なのが、『ヘビーメタル』というオムニバスアニメの中の「ハリー・キャニオン」で、タクシードライバーのハリーが、宇宙的恐怖の根源である緑の球体の争奪戦に巻き込まれる話。
 このようなパターンの原型的なものとして、映画『キッスで殺せ』を挙げられるかもしれない。ミッキー・スピレーンによる原作『燃える接吻』では麻薬だったマクガフィン的な謎の物体が、この映画では核物質に置き換えられ、それが激しい光と叫び声のようなノイズで描写されたことで神秘的な雰囲気になっていた。後に映画『レポマン』では、この同じ演出が車のトランクの中の宇宙人を表現するのに転用された。

 日本の作品だとまず高木彬光「邪教の神」がある。神津恭介をハードボイルド探偵と呼ぶわけにはいかないが、ともかく、木彫りの邪神像をめぐって起こる連続殺人を描いた怪奇ミステリである。
 そしてやはりマンガで、谷弘兒『地獄のドンファン』がパロディ的なセンスもありつつ、ラヴクラフト的な暗黒世界を描いていた。女性連続変死事件を追う特務捜査官・神山京介が木曽山中の奇怪な城館で狂気の世界を垣間見る話。同じ作者でより壮大な活劇『薔薇と拳銃』も面白いが。

 PCゲームでは、海外のもので『アローン・イン・ザ・ダーク』、日本だと『黒の断章』『Esの方程式』の《涼崎探偵事務所ファイル》二作が、いずれも私立探偵を主人公とし、クトゥルー神話要素もあるらしいが、どれも小説版は読んだものの、ゲーム自体はプレイしていないので、どんな作品なのかいまいちよくわからない。
 そう言えば、やはりゲームで、巨大ロボがクトゥルーと戦う『斬魔大聖デモンベイン』も主人公・大十字九郎の職業は私立探偵だった。

 もう一つ、日本の小説で重要なものとして村上春樹羊をめぐる冒険』も挙げておきたい。
 この作品は、私立探偵ものでも、クトゥルー神話でもないが、作中に登場する“羊”は精神寄生体の一種といえるし、失踪した友人を探すストーリーの展開は『長いお別れ』というよりは「闇に囁くもの」に近い気もする。
 村上春樹は、後にチャンドラー作品の翻訳を手掛けることになるし、同じ三部作の一作目『風の歌を聴け』で語られる小説家デレク・ハートフィールドのモデルはラヴクラフトではないかとも言われているくらいで、双方から影響を受けているのだろう。
 なので、フィリップ・マーロウ・ミーツ・クトゥルーというモチーフの、もっとも文学的なバージョンがこの『羊をめぐる冒険』と言えるのではなかろうか。その反対の端に位置するのが『デモンベイン』ということで。