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巨大ロボvsクトゥルー

 しかしやはり『デモンベイン』が気になる。
 そこで、“巨大ロボvsクトゥルー”というイメージについて考える。

 巨大ロボ――アニメに出てくる人が内部に乗る人型メカなどは“メタルスーツ”(上野俊哉)と呼ばれたりもする。
 では、クトゥルー神話に登場したメタルスーツ第一号は何か?
 これを書いたのは、やはりラヴクラフトで、短編「神殿」のラストシーンに描かれた、Uボートから海底遺跡へ降下する主人公の身を包む潜水服がメタルスーツと言える。

 だが、その後のアメリカの作品だと、あまり上げるべき作品を思いつかない。
 クトゥルー神話ではないがその近辺で重要なのは、小説では、パワードスーツでクモ型生物と戦うロバート・A・ハインラインの『宇宙の戦士』。映画では、H・R・ギーガーの画集『ネクロノミコン』がデザインの由来である宇宙生物と外骨格型のパワーローダーで戦う『エイリアン2』ぐらい。
 あと『デモンベイン』以降だが、巨大ロボ・イェーガーが怪獣と戦う『パシフィック・リム』がある。監督のギレルモ・デル・トロは、『妖蛆の秘密』の引用から始まる『ヘルボーイ』の監督でもあって、「狂気の山脈」の映画化も企画していた。

 もう一つ重要な作品として、人類の精神に影響を与える“黒い石”が出てくる『2001年宇宙の旅』(原作アーサー・C・クラーク、監督スタンリー・キューブリック)も挙げたい。
 宇宙服が出てくる作品はいくらでもあるが、この映画には球体型のスペースポッドも出てくる。そしてこのデザインは『機動戦士ガンダム』におけるモビルスーツの原型(?)的兵器“ボール”とそっくりである。
 それに『2001年宇宙の旅』は、先述の「神殿」とストーリー展開がよく似ている。潜水艦/宇宙船が未知の目的地への航行の途上、「神殿」では乗組員が反乱を起こすが、『2001年』ではHALが反乱を起こす。
 『ガンダム』のモビルスーツは『宇宙の戦士』のパワードスーツが原点と言われることもあるが(ガンキャノンがパワードスーツとそっくりという説もある)、ストーリーは『2001年』に近いというべきではないか。人類が精神進化(ニュータイプ化)に至る過程でスペースコロニーが反乱を起こす。
 クトゥルー神話に精神進化テーマを結びつけたのが、コリン・ウィルソンで、『精神寄生体』では宇宙への離脱によって精神寄生体の影響を排することができ、人間の精神本来の力を発揮できるようになる。
 モノリスのような人類を導く存在は登場せず、“重力”が人間を地球に引き留めているとする『ガンダム』の世界観は『精神寄生体』により近い気がする(『逆襲のシャア』は『精神寄生体』の続編のようにも見れる)。

 ウィルソンのもう一つのクトゥルー長編が『賢者の石』。こちらは脳に金属を埋め込むことで、人類の精神を支配しているクトゥルーに対抗する力を得ることができるというもの。
 脳の機能強化によって未知の敵と戦うという発想は、むしろ『新世紀エヴァンゲリオン』に近いと言える(PCゲーム『沙耶の唄』は、事故による脳の損傷で異様な世界が見えるようになった青年の話で、これも『賢者の石』と多少似ている)。

 しかし『デモンベイン』の話だ。
 この種の作品をスーパー系とリアル系に分ける分類がある。
 『デモンベイン』はスーパー系ということになるらしい。
 スーパー系の代表的なイメージは『マジンガーZ』や『ゲッターロボ』(これらの“原作”永井豪は後に『魔界水滸伝』のイラストを担当する)。だが、『デモンベイン』はこれら70年代アニメの雰囲気をそのまま再現したというわけでもない。では何なのか?
 リアル系の原点は『ガンダム』ということになるが、その監督・富野由悠季の後の『聖戦士ダンバイン』や『重戦機エルガイム』といった神話的ともいえる雰囲気の作品だと、スーパー/リアルという分類には上手く納まらないのではないか。
 『エルガイム』にデザイナーとして参加していた永野護がその設定を一部流用して描いたのがマンガ『ファイブスター物語』(FSS)であるが、『デモンベイン』はこれと似ている。乗り手が機械の神を動かすために擬人化した魔導書と契約しなければならないという設定は『FSS』のヘッドライナーとファティマの関係と似ていて、じっさい『デモベ』のナコト写本と『FSS』2巻表紙のクローソーとはそっくりのデザインである。
 ただ、デモンベインは都市の防衛機構の一部であったり、アメリカの空母が出てきたりと、スケール感でいうと『エヴァンゲリオン』に近い。
 したがって『デモンベイン』は、コンパクト化した『FSS』であり、わかりやすくなった『エヴァ』という感じがする。
 「手堅くまとめた」とは言えるが、クトゥルー神話作品としては、物足りなさも感じる。
 しかし、このことは『FSS』のように壮大で、『エヴァ』のように難解な、もう一つの“巨大ロボvsクトゥルー”作品を構想し得る可能性もあるということではないか。