『プロビデンス』について

 先日発売された『プロビデンスAct3』で、アラン・ムーアクトゥルー神話四部作もめでたく完結したということで感想を書いてみたい。
 まず、作画担当のジェイセン・バロウズは絵が上手い。最初の「中庭」の時点でも上手かったが、「ネオノミコン」でさらに上手くなり、『プロビデンス』では1920年前後のアメリカという難しい題材を見事に再現していて、ラヴクラフトの小説を再現したコマなんかはほれぼれする上手さだ。
 ところでこの“四部作”、同じ作者のクトゥルーものということで無理やりまとめたのかな、なんて思っていたのだが、最後まで読んでみるとちゃんとつながっていて、むしろ『ネオノミコン』『プロビデンス』の順で読まないと意味がわからない。
 『プロビデンスAct3』の展開は、それまで視点人物だった主人公ロバート・ブラックが途中で脱落してしまい、結末までたどり着けないというものだった。最終章で描かれるのは『ネオノミコン』の登場人物たちなのである。
 これはいかなる事態なのか。自分なりに整理してみようと思う(以下ネタバレあり)。


 『プロビデンス』の主人公ロバート・ブラックは新聞社ヘラルドの記者である。彼はちょっとした埋め草記事が必要になり、その時、同僚の女性社員が話題にした『スー・ル・モンド(世界の下で)』という読んだ者が狂気に陥るという書物の取材をすることにする。この話題を出した女性は『スー・ル・モンド』を『黄衣の王』と混同している。要するに『黄衣の王』と似ているがよりヤバそうな(架空の)本という設定なのだろう。
 で、取材に行ったのは『スー・ル・モンド』についてエッセイを書いていたアルバレズ博士、この人物は顔色の悪いスペイン人でアンモニア臭と冷気に包まれた部屋で暮らしている。つまりラヴクラフトの「冷気」が再現されている(作中時では書かれる前)。アルバレズ博士は『スー・ル・モンド』について書いたのは、言及されている古代アラブの錬金術の書『キタブ・アル・ヒクマー・ナジミイヤ』に興味を持ったからだと語る。そしてこの章の最後は博士が関係を持っているらしいアパートの家主である老婆が毛皮を脱いで裸を見せるところで終わる。
 ここからブラックは『キタブ・アル・ヒクマー・ナジミイヤ』とそれを所有する秘密結社《ステラ・サピエンテ》を追う旅をつづけることになる。その各章では、奇妙な人物に会って話を聞き、ラヴクラフトの作品に基づく出来事がありつつ、老女の裸のような秘密が明かされるというのが基本パターンとなる。2~4章ではそれぞれ「レッド・フックの恐怖」「インスマスの影」「ダンウィッチの怪」が元ネタとなっている。
 しかしここで何となくモヤモヤするのが、ブラック自身はラヴクラフト的な怪異に遭遇しながらもそれをほとんど恐怖とは感じないことだ。サイダム家の地下で目撃したリリスはガス漏れのガスを吸ったせいの幻覚だし、アソール付近の海を集団で泳いでいるのはアザラシの群れで、ホイートリー家の娘は何もいない空間に話しかけている。これらのことよりも自殺した同性の恋人のことばかり気に病んでいる。
 Act2前半の2章は「魔女の家の夢」と「戸口にあらわれたもの」が元ネタで時間ループと精神交換による少女レイプ(つまり自分が犯される)を体験し主人公はショックを受けるが、時が経つうちに精神を病んだことによる悪夢として受け止めたようである。そしてここで『キタブ・アル・ヒクマー・ナジミイヤ』の現物を手にする機会もあるが、とくにその内容に衝撃を受けたふうでもない。
 次の第7章「ピックマンのモデル」をモデルにした話を経て、Act2最後にはとうとうラヴクラフト本人との出会いが描かれる。
 Act3冒頭の第9章は「彼方より」が元ネタだが、むしろ次章とセットで「闇をさまようもの」を構成している。第9章でブラックは遠紫外線波長の眼鏡をかけたアーンズリーからステラ・サピエンテの正体を聞かされる。それによりブラックはステラ・サピエンテは、オカルト結社というよりは科学的思考による友愛団という印象を受ける。儀礼的な位階はあるがそれもフリーメーソン同様のたんに形式上のものに過ぎないと。
 秘密結社の追跡というモチーフは、ラヴクラフトで言えば「クトゥルーの呼び声」を思わせもする。「クトゥルーの呼び声」の主人公は《クトゥルー教団》の正体を探りその実在ばかりか、海底に眠るクトゥルーそのものの存在まで知ってしまい、さらにはその秘密を知ったことで暗殺者に狙われたことも相俟って恐怖と絶望から自殺を選ぶ。『プロビデンス』のブラックはこれとは逆の結論にたどり着いたかに見える。とりあえずこの段階では。
 だが次の第10章で事態は一転する。ブラックはついに逃れようのない怪異に直面する。彼はすでに前章で廃墟化した教会でトラペゾヘドロンを目撃している(本作のトラペゾヘドロンは第5章で少しだけ描かれていた「宇宙からの色彩」を思わせる現場から運び込まれた隕石という設定。こういうマッシュアップ的変形も楽しい)。ブラックの部屋へあらわれたのは『プロビデンス』の登場人物ジョニー・カルコサだった。やはり彼はナイアルラトホテップの化身であるらしい。
 主人公の名がロバート・ブラックで、ステラ・サピエンテとは「星々の智慧」を意味する。つまりこの『プロビデンス』全体が、主人公がロバート・ブレイクで《星の智慧派》について語られる「闇をさまようもの」を引きのばしたものともいえる。
 第11章、ブラックはショックを受けた状態のままニューヨークへと帰り、レコードをかけてくれるクラブのようなところへ行き音楽を聞く。これがこの作品に描かれるブラックの最後の姿である。この後は、これから先の出来事がダイジェストのように描かれる。だが、数コマごとにレコードのレーベルだけのコマがあらわれることからして、これらはブラックが未来の出来事を幻視しているということではないか。
 しかしでは、この主人公の役割とは何だったのか?
 ブラックが幻視する未来は備忘録と呼ばれるノートが関わっている。じつはこの『プロビデンス』、マンガによる各章のあいだに手書きの文章による「備忘録」というパートがある。マンガで描かれた出来事を主観的な文章で語りなおしたものである。マンガでは描き切れなかった情報やブラックの心情などがわかる構成になっている。問題はこのノートをブラックはラヴクラフトに見せていることで、これがきっかけで後にクトゥルー神話を構成することになる作品が書かれたのだ。
 ブラックの幻視は、サイケデリック幻覚のようなものではなく、その多くは実際に起こったことである。そしてそれはクトゥルー神話の爆発的な発展をあらわしている。クトゥルー神話の爆発的な発展、それは現実に起こった奇跡のような出来事である。
 『プロビデンス』で描かれるロバート・ブラックの物語は、この現実のたどった歴史から逆算して構成された、奇跡へいたる旅なのである。
 第11章の最後は未来の幻視からつながる形で『ネオノミコン』のつづきになる。なかなかアクロバティックな着地だ。そして第12章が最終章。それまで影の存在だったものたちが世界を覆い始める。神話が現実となったのだ。
 映画『マウス・オブ・マッドネス』にはこんなセリフがあった。「信じる者が多ければそれが現実になる」

 柳下毅一郎の「訳者あとがき」によると『ネオノミコン』の前半部「中庭」は、ラヴクラフトの連作詩「ユゴスからの黴」の中の一篇「中庭」が素材になっていたらしい。Fungi from Yuggothは『文学における超自然の恐怖』の大瀧啓裕訳「ユゴスの黴」も『宇宙の彼方の色』の森瀬繚訳「ユゴスからの真菌」も何となく目を通してはいたのだが。しっかり読んでいれば、自分で気づけたのに、と思うと悔しい。今さらながらきちんと再読しようと思う。