大島清昭『赤虫村の怪談』

(ネタバレしています。)

大島清昭の『赤虫村の怪談』を読んだ。
 この作品は、アーカム→赤虫、クトゥルー→苦取、ウェイトリー+ダンウィッチ→上似鳥団市、というように地名や人名、神・妖怪の名がクトゥルー神話を意識したものになっているのが特徴のミステリ(探偵小説)である。
 怪談作家・呻木叫子シリーズの前作『影踏亭の怪談』は連作短編だったが、本作は長編である。前作を読んでいなくても理解に支障はないと思われるが、この作者特有の怪異と論理のバランスがあらかじめわかっていたほうが世界に入りやすいだろう。
 この怪異と論理のバランスは登場人物の配置にもあらわれている。怪談の研究をしている呻木叫子は取材した相手が幽霊や妖怪を見たといえばとりあえずそれを受け入れる立場だが、彼女には鰐口という友人がいる。
 鰐口は映像制作会社に勤める女性で、呻木にはたびたび現実的な立場から助言を与え、時には物理的なトリックを解明する。普通のミステリなら呻木がワトソン役で、鰐口がホームズ役でもおかしくない。しかしこのシリーズの主人公はあくまで呻木で、鰐口はサポート役だ。ここぞという時には呻木自身が怪談に合理的な解釈を与えたり、怪異の中に紛れた人為的トリックを見抜いたりするのである。

 呻木叫子が愛媛県の赤虫村に興味を持つこととなったきっかけは、庵下譲治(名前のネタ元はジョージ・ギャマル・エインジェルか)の『赤虫村民俗誌』という本に、無有というのっぺら坊の一種である妖怪について書かれていることを知ったためである。この本には他にも九頭火や蓮太といった妖怪の記載もある。
 じっさいに赤虫村を訪れた呻木は「ぎやまん館」という温泉旅館に泊まる。この「ぎやまん館」という名前はラヴクラフト「インスマスの影」に出てくるホテル「ギルマン・ハウス」を思わせる。その一方で「ぎやまん」はガラスを意味するが、ガラスは「玻璃」とも言い換えられる。
 赤虫村には「玻璃の森」という禁足地があり、ここに立ち入った捜査官たちは呪われてしまう。 (さらに、密室トリックの一つでガラスが重要な手がかりになる場面もある。)
 クトゥルー神話では「ハリの湖」という異界の湖がありここでハスターが安息しているとされる。赤虫村でも蓮太は「玻璃の森」を出入りしてるのが目撃される。
 また「はり」は兵庫県の旧国名「播磨国」に通じる。他方の「磨」の字は赤虫村の旧家で連続殺人の舞台となる「中須磨家」に含まれる。「中須磨家」は、播磨国の陰陽師と人魚との間にできた子が祖先であると語られる。そして「中」は英語で"in"となると考えれば「中須磨」はインスマスを連想させる。
 一つの言葉が複数の意味に分裂し展開していく様はフロイトの言う〈夢の文法〉を思わせる。ラヴクラフトもまた、しばし自身が見た夢を小説にしていたわけで、こうした工夫はラヴクラフト的な雰囲気の再現を試みたものと言えるのではないか。
 また作中には「呻木叫子の原稿」として彼女が現地で収集した怪談が書きこまれている。旅好きで知られるラヴクラフトにも怪談収集家としての側面があったはずで、その成果は作品のそこここで確認できる。これら市井の声を作品に取り込むことには、物語を単線的なプロットを辿るだけのものにせず、多声的な空間へと開く効果があるだろう。

 赤虫村では四つの殺人が起こる(他に警察官が十三人ぐらい死ぬ)。被害者はいずれも中須磨家の人間で、現場はそれぞれ妖怪の位高坊主、九頭火、無有、蓮太に関連した見立てと思われる状況となっている。
 この四種の妖怪はクトゥルー神話のイタカ、クトゥグア、ナイアルラトホテップ、ハスターを連想させる名前だ。このうちイタカとクトゥグアはオーガスト・ダーレスが創造した神性である。
 さらに作中では九頭火と無有が争っていたという怪談が語られる。これはダーレス「闇に棲みつくもの」の再現となっている。舞台の「雲外寺」は「ンガイの森」が由来だろう。
 そして赤虫村の過去の歴史として、苦取神を信仰する中須磨家がこの地に移住してきた際、それまで信仰されていた蓮太が排斥され、それが原因で蓮太は中須磨家を祟っているとされる。苦取と蓮太の対立は、クトゥルーとハスターが闘争するやはりダーレスの「ハスターの帰還」を連想させる。
 『赤虫村の怪談』は、思いのほかダーレスの影響が強い。オーガスト・ダーレスは、出版社アーカムハウスを興しパルプ雑誌に埋もれていたラヴクラフト作品を世に広めるのに貢献した人物である。だが彼の小説作品は、善悪二元論や四大精霊説を取り入れたことにより、ラヴクラフト本来の神話を歪めた、通俗化したなどと批判された。
 『赤虫村の怪談』作中の「庵下譲治の現地調査ノート」では、太夫の代田黒雄なる人物の説として「地水火風の四大素に、無有、苦取、九頭火、蓮太があてられていた」ことが書かれている。だが大島清昭は、通俗化としての四大精霊説をそのまま利用したわけではないようだ。
 同ノートには「中須磨家の苦取神は他の地域で見られるクトル信仰とは別系統と考えた方がよいのかもしれない。中須磨家の苦取神は他の神々との関係性の中で捉えるべき信仰なのだろう」とある。「他の地域で見られるクトル信仰」というのは出島経由で海外から流入した信仰で、これがラヴクラフトが作中で描いたクトゥルーに対する信仰なのではないかと思われる。そして中須磨家のみに伝わる苦取信仰は平安以前に人魚と交わった陰陽師らが独自に形成したもので、それが四大精霊説と対応しているのだろう。苦取、無有といった名前の類似は、神々の言葉(アクロ語やルルイエ語といったもの)に直接、漢字をあてたものと推測できる。
 つまりこの作品では、日本がクトゥルー神話の本場アメリカから隔絶した地であることを逆手にとることで〈四大精霊説の再定義〉が試みられているのではなかろうか。

 この赤虫村での連続殺人は、現世的な動機によるものとして一応の解決を見るが、科学的には説明できない多くの謎も残している。すべてが合理的に解明されるわけではないのが、このシリーズの特徴である。
 それにしても、中須磨家で苦取神と対で信仰されているという欲外神についてはほとんど語られておらず、上似鳥団市なる怪しげな人物も登場したが正体は不明だ。庵下譲治の遺した資料を保管している瀬島囁という学者は最後に、呻木叫子が今後陥るだろう危機について語っている。
 どうやら『赤虫村の怪談』にはまだ続きがあるようだ。怪談ミステリの連作短編と並行して、苦取/クトル信仰を題材にした長編シリーズも構想されているのではないか。だとすれば楽しみだ。期して待ちたい。

ロバート・E・ハワード『無名祭祀』

「クトゥルー神話原典集成」という副題のついたロバート・E・ハワードの作品集『無名祭祀』を読んだので感想を書いてみたい。

 まず、本書の全体像をつかむうえで役に立ったキーワードを設定しておきたい。《強敵との対決》《異種族の脅威》《前世の記憶》の三つ。簡単に説明すると《強敵との対決》はヒーローとヴィランの対決というようなアクションものヒーローもののパターン。強敵ヴィランには名前と個性がある。それに対して《異種族の脅威》では敵は個人ではなく種族全体で個人名などは問題にされない。《前世の記憶》は文字通り主人公が前世の記憶を持っているというもので、往々にしてその記憶が《異種族の脅威》と結びついていたりする。

*以下、ネタバレあり。

「無名の断片」 これは冒頭しか書かれていない未完成の断片。短いものだが、クトゥルー神話の魔道書である『無名祭祀書』とコナンの背景世界である〈ハイボリア〉の両方への言及があるというロゼッタストーンのような位置の小文。内容は、エジプトの砂漠で発見された墓の遺跡をこれから暴こうとしているという場面のみ。主人公はアリスンという名でこれは森瀬繚の注によると「妖蛆の谷」の主人公ジョン・アリスンと同一であろうとのこと。ジョン・アリスンは《前世の記憶》をたくさん持っている設定なので、それを踏まえてあとの展開を想像すると、アリスンは墓の中で何かを見たのがきっかけで前世の記憶がよみがえる、つまり主観的には古代の異世界へと飛ばされる。そこでの冒険を経て現代に戻ると墓の由来もわかる、といった話になるのだろう。わざわざ前フリで『無名祭祀書』とハイボリアに触れていることを考えるとアリスンの前世の冒険とはいかなるものかと想像が膨らむ。

「影の王国」 ハワード初期のヒロイックファンタジーで、まだクトゥルー神話は意識されていないと思われるが、ラヴクラフトのほうがこの作品の悪役〈ヴァルーシアの蛇人間〉を自作に取り込んだために事後的にクトゥルー神話化した作品。ストーリーは、人間に化ける能力のある蛇人間の集団によってヴァルーシア国が乗っ取られようとするのを国王カルが阻止するというもの。敵としてがかれる蛇人間には、個人名や個性は与えられず、ただ不気味な集団としてのみ描写される。こうした《異種族の脅威》の描き方は、蛇人間という明らかに架空の存在とは言え、人種差別的な感情と結びついていると考えられ、今日的には問題なしとは言えない気がする。ただ、その一方で主人公カルはアトランティス人でありながらヴァルーシアの国王の座についているのだし、さらには、異人種の始めは対立していた者と相棒になり、ともに困難を乗り越えるうちに熱い友情で結ばれるという、のちの作品でも繰り返される関係(本作ではピクト人のブルール)も描かれていて、単純な〈排外主義〉とも言えない側面もある。

「黄金髑髏の呪い」 これも未完の断片。だが、一応まとまったストーリーとして読める。古代にかけられた呪いが、現代の者に作用するという話。最初のところで〈アトランティスのカル〉に言及されているが、この続きが書き進められれば、現代が舞台となっているはずで、カルの世界と現在が直結されているようなスリルのあるものになっただろう。

「バル=サゴスの神々」 ターロウ・オブライエンを主人公にしたシリーズの一作。放浪の戦士がある都市にあらわれてそこで行われている謀略に巻き込まれ、黒幕と対決し、結局その都市はメチャメチャに破壊されることになって戦士は去っていくという骨子のストーリーで、〈コンチネンタル・オプ〉(ハメット)や〈ダーティ・ペア〉(高千穂遥)や〈レモン・トロツキー〉(野阿梓)などでも好んで描かれたパターンだ。この作品にも異人種の相棒となるサクソン人のアゼルスタンが登場する。なぜか《強敵との対決》は主人公ターロウよりももっぱらこのアゼルスタンのほうが担当していた気がする。あと強欲な女王ブリュンヒルドのキャラが強烈。コナンは常に女を侍らせていたが本書の作品では印象に残る女性キャラは少なめ。

「暗黒の民」 恋敵を殺そうとしている男の語りで始まるサスペンスな開幕。だがこの男、洞窟で頭を打って《前世の記憶》へ。そこで《異種族の脅威》を目の当たりにするも何とか逃れ現代に帰還、前世の記憶が現在の人間関係に反映され、恋敵のカップルを祝福するという、まさかのハッピーエンド。〈ダゴン〉〈黒の碑〉〈夜の末裔〉といった他の作品にもみられるキーワードが揃っていてハワード独自の神話世界が見てとれる感じだ。

「大地の妖蛆」 ピクト人の勇者ブラン・マク・モーンがを主人公。横暴なローマの総督スッラがピクト人を不当に処刑、これに怒ったブランがスッラに復讐をする話。つまり《強敵との対決》となるわけだが、しかしスッラは対決を前にして、ブランの用いた妖術が恐ろしすぎて、正気を失ってしまう。剣よりも魔法のほうが強すぎるという、のちの〈エルリック・サーガ〉(ムアコック)を思わせる不気味さがある。この作品にも〈黒の碑〉が登場する。〈黒の碑〉は、なぜか描かれるたびにだんだん小さくなって本作ではブランが持ち運べる大きさになっている。そして「暗黒の民」につづいてそれは〈夜の末裔〉や〈ダゴン〉の名と結びついている。なぜダゴンなのか。〈黒の碑〉によって呼びだされる怪物がダゴンということだろうか?

「妖蛆の谷」 前世の記憶を持つ男ジェイムズ・アリスンが語り手。年老いて死が間近に迫ったアリスンが妖蛆と戦ったニォルドの記憶を語る。それはペルセウスや聖ジョージなど幾多の怪物退治伝説の源泉なのだと。クトゥルー神話との関わりは途中で一度《古きものども》という名が出てくるだけなのだが、その前後の文章は、妖蛆に殺されたピクト人の犠牲者の霊が「呪い師(シャーマン)や長老たちの夢に現れ」伝えた「奇怪にして驚くべき秘密」として語られるもので、いかにもなクトゥルー神話的世界観があらわされている。そしてついにニォルドの前に妖蛆が姿を現わす際、まず、毛むくじゃらで笛を吹く猿人のような化け物があらわれる。これが何とも不気味だ。人類とは別の文明の痕跡を想像させるからかもしれない。ニォルドの死でこの作品は終わる。死が間近に迫った者の回想という構成はヘミングウェイの「キリマンジャロの雪」を思わせもする。ニォルドの死は同時にアリスンの死でもあるのだろうか。作中では前世の英雄たちの冒険は「来世にもきっと再来する」とある。アリスンにとっては自身の死も転生への一過程であるらしい。

「影の王国」からここまでが〈剣と魔法編〉、つぎの「スカル=フェイス」からが〈現代伝奇編〉となっている。

「スカル=フェイス」 フー・マンチュー的世界観なのだろうけどより怪奇色が強い。フー・マンチューのライバル、ネイランド・スミスはホームズの亜流のような探偵だったが、本作の主人公コスティガンはいかにもアメリカ人らしくより行動的。そのおかげで〈無国籍アクション〉的な作風になっている。じっさい登場人物は多国籍で、中国人、アメリカ人、ムーア人、アフガン人、ハイチ人、チェルケス人、エジプト人、ロシア人、レヴァント人、イギリス人と意図的にダイバーシティな国籍を揃えているようだ。スカル=フェイスことカトゥルスはヴィランとしてキャラが立っているし、コスティガンは薬物で腕力を強化しているので、あとは派手なタイツを着ていれば、もう、ほとんどアメコミである。

「夜の末裔」 ここから〈放浪者俱楽部奇譚〉という連作となる。この連作タイトルは森瀬繚の命名ということだが、なんとなく栗本薫の〈新日本久戸留綺譚〉を思い出してしまう。この作品〈剣と魔法編〉でも言及があった〈夜の末裔〉のやはり《異種族の脅威》が主題。放浪者俱楽部のメンバーが集まって好きな本などについて話し合っていると、そのうちの一人ケトリックが振り回した石器がたまたまオドネルの頭にあたってしまう。昏倒したオドネル、やがて意識が戻るとケトリックが〈夜の末裔〉だとして必ず殺すと物騒な決意をして終る。ケトリックはれっきとした英国貴族の家系に連なる人物だが取り替え子だろうと言われる。その根拠は昏倒しているあいだに見た《前世の記憶》なのだが、それだけでは第三者からすれば差別的な妄想と思われても仕方がないだろう。じっさい他の登場人物もあきれた様子で、作者ハワードも無茶な話だという自覚があるのではないか。訳文ではオドネルの一人称が普段は「僕」で前世の記憶が取り憑いている時は「俺」になるという工夫がされている。あと、作中でポー「アッシャー家の崩壊」、マッケン「黒の石印」、ラヴクラフト「クトゥルーの呼び声」が怪奇物語の三大傑作として語られているのも興味を惹かれる。(「黒の石印」は『怪奇クラブ』の中の一章)私自身好きな怪奇短編ベスト3を挙げるなら「アッシャー家の崩壊」と「クトゥルーの呼び声」とあと何かなのだ。

「黒の碑」 『無名祭祀書』について詳しい説明があるのがこの作品。「スカル=フェイス」ではカトゥロス/クトゥルーの名前の類似、「夜の末裔」ではタイトルへの言及があった「クトゥルーの呼び声」。この「黒の碑」では作品の構成自体が「クトゥルーの呼び声」を意識したものになっているように思う。具体的に対応する要素をあげると詩人ジェフリィと彫刻家ウィルコックス、黒の碑とルルイェ、セリム・バハドゥルの羊皮紙とヨハンセンの手記などがある。中盤で人身御供の儀式が描かれるのも同じ。「クトゥルーの呼び声」の山版それが「黒の碑」。主人公が黒の碑を前にして見る夢は《異種族の脅威》や《前世の記憶》と関係があるとも思えるが、「夜の末裔」と比べると穏当な扱いになっている。

「屋根の上の怪物」 この作品もかなりラヴクラフトを意識したであろう作風。怪物があらわれても剣で戦わない。元ネタがあるとすれば、墓から彫像を持ち帰ったせいで魔物に追われるので「魔犬」。「黒の碑」とこの「屋根の上の怪物」の二作がハワードが最もラヴクラフトに接近した作品だと思う。とくに本作は自身の個性を抑えているぶん作家としての上手さがあらわれていると言えるのではないか。あとウォルハイム「ク・リトル・リトルの恐怖」はラヴクラフトのパロディとされているが、じつはこの「屋根の上の怪物」もベースになっている気がした。

「憑かれた指輪」 連作タイトルになった〈放浪者俱楽部〉が出てくるのがこの作品。語り手がオドネルで主人公がキロワンといった構成。てっきりオドネルは〈夜の末裔〉討伐の旅に出たものと思っていたのでキロワンの助手に収まっているのが何だかおかしかった。キロワンがゴーストハンター的に活躍する。パルプ的というのか展開が目まぐるしく呪われた人妻の話から東欧の吸血鬼との対決へ一気に進む。

「われ埋葬にあたわず」 “ディグ・ミー・ノー・グレーヴ”という原題に劣らず日本語タイトルかいい。今回はキロワンが語り手でコンラッドとのコンビ。あるオカルティストの老人が自分の死後、死体にある儀式を行ってくれとコンラッドに頼んでいたという話。「憑かれた指輪」と「われ埋葬にあたわず」は〈悪魔との契約もの〉の雰囲気がある。そうなるとクトゥルー神話とは世界観が変わってしまうと思う。ダーレスの「サンドウィン館の怪」や「戸口の彼方へ」が似た作品。

「墓所に棲みつくもの」 オドネルが語り手でコンラッドとコンビ。田辺剛による表紙イラストの老人は木槌と杭を持っているので本作のもの。双子の入れ替わりを軸とした探偵小説的構成だが怪奇要素もふんだんにある。この作品は《異種族の脅威》が背景にあり、ダゴンの変形らしきダゴスという地名は出てくるもののそこに潜む異種族は〈夜の末裔〉とは呼ばれず犬のような頭の怪物になっている。グールに近いのか。後半の雰囲気はラヴクラフトの「無名都市」とやや似ている。最後、墓所の戸口に怪物があらわれるも強風で扉が閉まって助かるというオチは何だか低予算映画を見せられた感じ。それも悪くはないが。

「黒熊は噛む」 一人称が「俺」の冒険小説が始まったと思ったら語り手はオドネルだった。「スカル=フェイス」のような無国籍アクションの世界。漢口が舞台なのでアメリカ人が書いた〈大陸もの〉でもある(戦中の中国大陸を舞台とした冒険小説を〈大陸もの〉と呼ぶジャンル名があったと思ったがググっても出なかった)。あるいは、拳銃を持ったコナンという趣も。仮面の人物の正体を最後の一行で明かす構成がいい。 

「例の屋敷」 未完成の断片。詩人ジャスティン・ジェフリーがある場所で一夜を明かしたことで精神を病んだ過程が描かれていて「黒の碑」の原形とされる。その場所とは〈例の屋敷〉と呼ばれる廃屋。キロワンとコンラッドそれに画家のスカイラーがこの建物の前に立ったところで終わっている。この先、三人が屋敷の中に入ったとすれば、そこからいわくのある地下空間への探索となるのではないか。そうなれば芸術家であるスカイラーが真っ先に狂気に陥る気がする。だとするとラヴクラフトの「壁の中の鼠」のような話か。ダーレスが手を加えた完成版「黒の詩人」もある。

「翡翠の神」これも未完断片。キロワンが語り手でコンラッドとのコンビ。未完の作品も含めるとこの二人が定番の主人公となっていく様子か。ドーマスという男の叫び声を聞いて二人が駆けつける、ドーマスは「翡翠の神だ!」と言い残し死ぬ。刺殺されたことは明らかだが犯人の姿はない。解説によると翡翠の神とは彫像ではなく生き物が加工されたもので、それを行ったのはフー・マンチューかチョー=チョー人という説が予定されていたとか。ハワードはダーレスとスコラーによる「羅睺星魔洞/潜伏するもの」に登場する邪悪な矮人族を自作に取り入れようとしていたのか。そしてフー・マンチューも。クトゥルー神話という枠を超えて、何気ない怪奇小説の背後に、めくるめくパルプのマルチバースが広がっている楽しさがかいま見える。

「アッシュルバニパルの炎」 秘境冒険小説。他の作品でもあるが、クライマックス直前から始まる感じ。これまでの経緯が手際よく語られ一気にクライマックスへという構成。『ネクロノミコン』に言及される、ここは『無名祭祀書』でもよかったと思うが砂漠なので『ネクロノミコン』なのならば気が利いてると思った。石の壁から触手が一本出てくる場面がいい。こいつをゴル=ゴロスと呼びたい。

「蹄のあるもの」 近所から猫犬が消えていると思ったら怪しい隣人が屋根裏で怪物を育てていたという「ダンウィッチの怪」(ラヴクラフト)を思わせる話。主人公の彼女が隣人スタークから聞いた話を主人公に伝えるのだが、その内容があまりに長く記憶力よすぎだろと言いたくなる。あと、この主人公は『無名祭祀書』を所持しているのだが、デュッセルドルフ版の「黒の書」というならば入手した経緯などの説明も欲しかった。屋根裏の怪物の描写はシュブ=ニグラスを思わせもする。後世イラスト化されたそれのと言うべきか。

「庭園の扉」 未完の断片。ある作家のもとへ窓から突然、金髪の美少年が訪れるというハワードらしからぬメルヘンちっくな始まりの作品。とは言えこの作家が異世界へ飛ばされるところで終わっているので、その先は剣をふるっての大乱闘にするつもりだったのだろう。ジャスティン・ジェフリィへの言及がある。


 本書の作品からベスト3を選ぶなら「黒の碑」「屋根の上の怪物」「アッシュルバニパルの炎」かな。三つとも以前から読んでいた作品だが、ハワード作品をつづけて読むとまた微妙に印象も変わった。ハワードなりの神話世界もイメージをつかめた気がする。

『グラーキの黙示3』「グラアキ最後の黙示」

 少額ながらクラウドファウンディングに参加していたのでラムジー・キャンベルのクトゥルー神話作品集『グラーキの黙示』第三巻が送られてきた。中身は「グラアキ最後の黙示」という中編一作にT・E・D・クラインによる解説、森瀬繚による解題という構成。一、二巻と比べるとやや薄めだが、単行本として不足というほどでもない。何よりキャンベルが2013年発表した神話作品の新作が読めるのはうれしい。

(以下ネタバレ感想)
「グラアキ最後の黙示」を読みながら思ったのは、アラン・ムーアとジェイセン・バロウズによるマンガ『プロビデンス』と似てるなということだった。どちらも、本の入手のために奇妙な人々と会っていくという構成だった。
 もちろん違いはある。『プロビデンス』では主人公の目的が途中から変化していくし、一話ごとに別のラヴクラフト作品がベースになっていく。「グラアキ最後の黙示」では、『グラーキの黙示録』の複数巻を一冊づつ手に入れる過程が描かれ、全体に「インスマスの影」のような雰囲気である。
 主人公レナード・フェアマンは図書館の司書ということらしいが、なぜ『グラーキの黙示録』を集めているのかよくわからない。スティーヴン・キングの小説のように主人公の生い立ちからじっくり描くような書き方ではなく、いきなり浜辺の町ガルショーに到着するところから始まる。事情が分からないまま進行する悪夢のようである。
 フェアマンは、キャンベルの過去作「湖の住人」の舞台である湖畔の記憶を持っている。この回想もどういう意味があるのか不明だが、読者もまた記憶しているだろう六つの家が並ぶ湖畔のイメージと共鳴するかのような不思議な感覚がある。
 全体に淡々と進行していく感じだが、最後には大きな怪異も起こる。しかし主人公はさほど衝撃を受けた様子もなく、ラヴクラフトの主人公以上に受け身で茫洋としている。 
 結末では、何度も出てきていた「見どころがまだたくさんあります」というセリフが効果的に使われている。

 このストーリーは、まるでエッシャーの版画のようだ。同じ模様の繰り返しを眺めていくと、いつの間にか図と地が反転している、そんな作品である。

『プロビデンス』について

 先日発売された『プロビデンスAct3』で、アラン・ムーア版クトゥルー神話四部作もめでたく完結したということで感想を書いてみたい。
 まず、作画担当のジェイセン・バロウズは絵が上手い。最初の「中庭」の時点でも上手かったが、「ネオノミコン」でさらに上手くなり、『プロビデンス』では1920年前後のアメリカという難しい題材を見事に再現していて、ラヴクラフトの小説を再現したコマなんかはほれぼれする上手さだ。
 ところでこの“四部作”、同じ作者のクトゥルーものということで無理やりまとめたのかな、なんて思っていたのだが、最後まで読んでみるとちゃんとつながっていて、むしろ『ネオノミコン』『プロビデンス』の順で読まないと意味がわからない。
 『プロビデンスAct3』の展開は、それまで視点人物だった主人公ロバート・ブラックが途中で脱落してしまい、結末までたどり着けないというものだった。最終章で描かれるのは『ネオノミコン』の登場人物たちなのである。
 これはいかなる事態なのか。自分なりに整理してみようと思う(以下ネタバレあり)。


 『プロビデンス』の主人公ロバート・ブラックは新聞社ヘラルドの記者である。彼はちょっとした埋め草記事が必要になり、その時、同僚の女性社員が話題にした『スー・ル・モンド(世界の下で)』という読んだ者が狂気に陥るという書物の取材をすることにする。この話題を出した女性は『スー・ル・モンド』を『黄衣の王』と混同している。要するに『黄衣の王』と似ているがよりヤバそうな(架空の)本という設定なのだろう。
 で、取材に行ったのは『スー・ル・モンド』についてエッセイを書いていたアルバレズ博士、この人物は顔色の悪いスペイン人でアンモニア臭と冷気に包まれた部屋で暮らしている。つまりラヴクラフトの「冷気」が再現されている(作中時では書かれる前)。アルバレズ博士は『スー・ル・モンド』について書いたのは、言及されている古代アラブの錬金術の書『キタブ・アル・ヒクマー・ナジミイヤ』に興味を持ったからだと語る。そしてこの章の最後は博士が関係を持っているらしいアパートの家主である老婆が毛皮を脱いで裸を見せるところで終わる。
 ここからブラックは『キタブ・アル・ヒクマー・ナジミイヤ』とそれを所有する秘密結社《ステラ・サピエンテ》を追う旅をつづけることになる。その各章では、奇妙な人物に会って話を聞き、ラヴクラフトの作品に基づく出来事がありつつ、老女の裸のような秘密が明かされるというのが基本パターンとなる。2~4章ではそれぞれ「レッド・フックの恐怖」「インスマスの影」「ダンウィッチの怪」が元ネタとなっている。
 しかしここで何となくモヤモヤするのが、ブラック自身はラヴクラフト的な怪異に遭遇しながらもそれをほとんど恐怖とは感じないことだ。サイダム家の地下で目撃したリリスはガス漏れのガスを吸ったせいの幻覚だし、アソール付近の海を集団で泳いでいるのはアザラシの群れで、ホイートリー家の娘は何もいない空間に話しかけている。これらのことよりも自殺した同性の恋人のことばかり気に病んでいる。
 Act2前半の2章は「魔女の家の夢」と「戸口にあらわれたもの」が元ネタで時間ループと精神交換による少女レイプ(つまり自分が犯される)を体験し主人公はショックを受けるが、時が経つうちに精神を病んだことによる悪夢として受け止めたようである。そしてここで『キタブ・アル・ヒクマー・ナジミイヤ』の現物を手にする機会もあるが、とくにその内容に衝撃を受けたふうでもない。
 次の第7章「ピックマンのモデル」をモデルにした話を経て、Act2最後にはとうとうラヴクラフト本人との出会いが描かれる。
 Act3冒頭の第9章は「彼方より」が元ネタだが、むしろ次章とセットで「闇をさまようもの」を構成している。第9章でブラックは遠紫外線波長の眼鏡をかけたアーンズリーからステラ・サピエンテの正体を聞かされる。それによりブラックはステラ・サピエンテは、オカルト結社というよりは科学的思考による友愛団という印象を受ける。儀礼的な位階はあるがそれもフリーメーソン同様のたんに形式上のものに過ぎないと。
 秘密結社の追跡というモチーフは、ラヴクラフトで言えば「クトゥルーの呼び声」を思わせもする。「クトゥルーの呼び声」の主人公は《クトゥルー教団》の正体を探りその実在ばかりか、海底に眠るクトゥルーそのものの存在まで知ってしまい、さらにはその秘密を知ったことで暗殺者に狙われたことも相俟って恐怖と絶望から自殺を選ぶ。『プロビデンス』のブラックはこれとは逆の結論にたどり着いたかに見える。とりあえずこの段階では。
 だが次の第10章で事態は一転する。ブラックはついに逃れようのない怪異に直面する。彼はすでに前章で廃墟化した教会でトラペゾヘドロンを目撃している(本作のトラペゾヘドロンは第5章で少しだけ描かれていた「宇宙からの色彩」を思わせる現場から運び込まれた隕石という設定。こういうマッシュアップ的変形も楽しい)。ブラックの部屋へあらわれたのは『プロビデンス』の登場人物ジョニー・カルコサだった。やはり彼はナイアルラトホテップの化身であるらしい。
 主人公の名がロバート・ブラックで、ステラ・サピエンテとは「星々の智慧」を意味する。つまりこの『プロビデンス』全体が、主人公がロバート・ブレイクで《星の智慧派》について語られる「闇をさまようもの」を引きのばしたものともいえる。
 第11章、ブラックはショックを受けた状態のままニューヨークへと帰り、レコードをかけてくれるクラブのようなところへ行き音楽を聞く。これがこの作品に描かれるブラックの最後の姿である。この後は、これから先の出来事がダイジェストのように描かれる。だが、数コマごとにレコードのレーベルだけのコマがあらわれることからして、これらはブラックが未来の出来事を幻視しているということではないか。
 しかしでは、この主人公の役割とは何だったのか?
 ブラックが幻視する未来は備忘録と呼ばれるノートが関わっている。じつはこの『プロビデンス』、マンガによる各章のあいだに手書きの文章による「備忘録」というパートがある。マンガで描かれた出来事を主観的な文章で語りなおしたものである。マンガでは描き切れなかった情報やブラックの心情などがわかる構成になっている。問題はこのノートをブラックはラヴクラフトに見せていることで、これがきっかけで後にクトゥルー神話を構成することになる作品が書かれたのだ。
 ブラックの幻視は、サイケデリック幻覚のようなものではなく、その多くは実際に起こったことである。そしてそれはクトゥルー神話の爆発的な発展をあらわしている。クトゥルー神話の爆発的な発展、それは現実に起こった奇跡のような出来事である。
 『プロビデンス』で描かれるロバート・ブラックの物語は、この現実のたどった歴史から逆算して構成された、奇跡へいたる旅なのである。
 第11章の最後は未来の幻視からつながる形で『ネオノミコン』のつづきになる。なかなかアクロバティックな着地だ。そして第12章が最終章。それまで影の存在だったものたちが世界を覆い始める。神話が現実となったのだ。
 映画『マウス・オブ・マッドネス』にはこんなセリフがあった。「信じる者が多ければそれが現実になる」

 柳下毅一郎の「訳者あとがき」によると『ネオノミコン』の前半部「中庭」は、ラヴクラフトの連作詩「ユゴスからの黴」の中の一篇「中庭」が素材になっていたらしい。Fungi from Yuggothは『文学における超自然の恐怖』の大瀧啓裕訳「ユゴスの黴」も『宇宙の彼方の色』の森瀬繚訳「ユゴスからの真菌」も何となく目を通してはいたのだが。しっかり読んでいれば、自分で気づけたのに、と思うと悔しい。今さらながらきちんと再読しようと思う。

合同本への参加

2024年5月19日(日)東京流通センターにて開催される文学フリマ38。
ここで頒布されますクトゥルー神話合同本に私も参加させてもらっています。

bunfree.net

こちらの皇帝栄ちゃん氏の本です。

「音楽的な計画と注釈」という短編を書きました。
よろしくお願いします。

窓に! 窓へ! 窓が!

 もう出たのはだいぶ前になるが、新潮文庫の〈クトゥルー神話傑作選〉『狂気の山脈にて』所収の「ダゴン」では、これまでの訳では「窓に! 窓に!」だった最後のフレーズが「窓へ! 窓へ!」になっている。
 窓から逃げるのかな、と私は思っていたのだが、このまとめを読むと、

「とても大きな勘違いをしていた」ホラーでよくある『窓に!窓に!』というセリフは日本と海外では全く違う意味だったらしい - Togetter

「窓へ」と言っているのは、身投げするということらしい。
 この「ダゴン」は過去の出来事の回想を書いていた男が、最後の部分になって怪異が迫ってもなお、リアルタイムの実況を書きつづけるところが面白いところで、「そんなことあるか」とツッコミたくなるところでもあった。
 だが、この文書が遺書であると考えると、最後の最後まで自分の状況を書き残したいという願望はわからなくもない気もする。
 「窓に」の解釈、目の前の窓から怪物が迫っているのに文章を書きつづけているという状態も、書くことでハイになっているかのような不条理感があって、これはこれで捨てがたい。
 何なら「窓が! 窓が!」でもよかったのではないかとも思う。つまり窓が変質して外の景色が変化したという説。あの隆起した無人島とつながってしまったのだ。まるで当時は存在しなかったテレビのように。
 じっさいラヴクラフトのその後の作品でも、窓に異様なものが現れるというモチーフはくり返し描かれている。
 窓辺に立っていた男が顔を抉られる「潜み棲む恐怖」、ガラスに死者の顔が焼き付いているという伝説から異界に通じた窓について語られる「名状しがたいもの」、「神殿」の潜水艦の窓からはアトランティスの遺跡が、「狂気の山脈にて」の飛行機の窓からは凍てつく荒野のカダスが眺められる。そして鏡やレンズも窓の変形と考えるなら、「アウトサイダー」の鏡や「ダンウィッチの怪」の望遠鏡もここに加えることができる。さらには「闇をさまようもの」の主人公ロバート・ブレイクも窓と向き合って死んでいた。おまけにもう一つ、ラヴクラフト&ダーレス名義によるいわゆる死後共作「破風の窓」も、正しく窓越しに怪物が迫ってくる話である。
 遠く隔たったものが間近にあらわれる。それを媒介するのがメディアである。メディアとしての窓。
 「ダゴン」に描かれているのが、テレビのような視覚メディアとしての窓であるとして、同じラヴクラフトの初期作品「ランドルフ・カーターの陳述」では、聴覚メディアである電話が重要な役をはたしている。つまり、この二作は地獄のような異界に通じてしまう視覚・聴覚メディアという一対の作品となっているのである。
 後期の作品では、超科学的あるいは魔術的なメディアが描かれる。「闇に囁くもの」ではユゴス星の金属円筒から(不)死者の囁きが聞こえ、「闇をさまようもの」ではトラペゾヘドロンを通して異界の光景を見る。やはり聴覚・視覚の一対である。
 こうした視・聴覚の一対という発想は、ポーの色彩のドラマ「赤き死の仮面」と音響のドラマ「アッシャー家の崩壊」に遡れるかもしれない。ラヴクラフトにも、色彩が全面化した「宇宙からの色」、音響に焦点化した「エーリッヒ・ツァンの音楽」がある。この二作はラヴクラフト自身のお気に入りらしい。
 だが、異様な光景や音響がメディアを介してあらわれるところに二十世紀人であるラヴクラフトの面目躍如たるものがあるのではないか。

文学フリマ東京35

 文学フリマ東京35に出店します。

bunfree.net


 ブースは【J‐15】、サークル名「地下石版」です。

 今回持っていく本は、

 クトゥルー神話短編二作『真夜中のアウトサイダー/ガロス=レー』(定価800円)
 「真夜中のアウトサイダー」は、ポーの「赤き死の仮面」をオペラ化しようとしている作曲家からの依頼で、私立探偵が失踪したジャズ・ミュージシャンについて調べる話。
 「ガロス=レー」は、オカルト雑誌編集者とラノベ作家のコンビが、小説やゲームなど複数の作品にあらわれる〈ガロス=レー〉という名称の謎を追う話。

 クトゥルー神話ゴーストハンターもの『水晶の中の銀河/月の庭園』(定価700円)
 この二作は《髑髏水晶の魔女》と呼ばれる占い師・蒼井水緒がゴーストハンター的な活躍をする連作。

 ハードボイルド的クトゥルー神話三作『何かが俺を呼んでいる/電気椅子奇譚/猫の墓場』(定価800円)
 「何かが俺を呼んでいる」は、宗教団体の教祖の暗殺を依頼された殺し屋の話。
 「電気椅子奇譚」は、アドルフ・デ・カストロの「電気処刑器」を元ネタにした私立探偵もの。
 「猫の墓場」は、子猫と一緒に死んだ殺し屋が、猫の霊によって復活させられ殺した相手への復讐を命じられるという話。

 そして、大和屋竺の殺し屋映画研究本『暗殺のポルノ』(定価600円)。
 これは再版しました。内容をわりと書き換えています。