『襲い狂う呪い』について

 ダニエル・ハラー監督の『襲い狂う呪い』は主演がニック・アダムスだ。
 このヘミングウェイの小説と同名の俳優は、東宝特撮映画『フランケンシュタイン対地底怪獣(バラゴン)』や『怪獣大戦争』にも出演している。
 公開はどれも1965年で、当然、同じ顔。なのでアーカム駅に降り立つニック・アダムスは今にも納谷悟朗ボイスで話し出しそうに見える。

 『襲い狂う呪い』には、もう一人、有名な怪奇俳優ボリス・カーロフも出てる。
 この人のことを私は、普段からあの『フランケンシュタイン』の怪物みたいな顔なのかなと思っていたのだけど、じつは画像を見ると内藤陳みたいなシャープな顔立ち。あの怪物はメイクで盛っていたんですな。
 それから三十年以上たったこの映画では、だいぶお爺ちゃんになっているが、全身銀ピカの怪物演技も披露している。
 『対地底怪獣』のフランケンシュタインも当然、ボリス・カーロフを意識したメイクなので、この二作は言わば《ボリス・カーロフ対ニック・アダムス》二部作となっているのだ。

 ところで、町山智浩が下の動画で、本多猪四郎監督による『ゴジラ』で東京を破壊するゴジラは、平田昭彦が演じる芹沢博士の深層心理あるいは怨念が実体となって暴れているかに見える、というようなことを言っている。

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 これは言わばゴジラが芹沢博士の〈イドの怪物〉や〈オルター・エゴ〉であるということだと思う。上の動画の中でも、じっさいイドの怪物が出てくる映画『禁断の惑星』を同じ型として論じている。

 『フランケンシュタイン対地底怪獣』についてもそうした見方ができる(町山はフランケンシュタインと芹沢博士を重ね合わせた見方を語っているが)。
 ニック・アダムスのイドの怪物がフランケンシュタインで、高島忠夫のイドの怪物がバラゴンである。つまり二人のイドの怪物同士が対決しフランケンシュタインの方が勝つという話である。
 これはアメリカ的精神と日本的精神の戦い、ということではないか。そしてアメリカが勝つ。日本は占領され、文化的にも侵略される。
 だがでは、最後に唐突に出現し、フランケンシュタインを湖へ引き込む大ダコは何なのか?
 主要人物の残りの一人、水野久美のイドの怪物なのではないか。この映画にはフランケンシュタインが地割れに飲まれ終わるというもう一つのヴァージョンも存在するが、それも同じことで、要するに女性原理を表していると見られる。
 つまり『フランケンシュタイン対地底怪獣』では古い伝統的な日本精神と新しいアメリカ精神が争い、一時はアメリカが勝利するが、それが全面化したわけではなく、結局、女性原理に飲み込まれた、というこの国の戦後史が象徴的に描かれているのではなかろうか。

 で、本題『襲い狂う呪い』。
 これはラヴクラフトの「宇宙からの色」が原作。
 宇宙から飛来した隕石から異様な色彩が発生する、という基本設定は同じだが、この映画では色彩は実験室の中に閉じ込められ、その館の中で起こる怪異を描いている。
 この映画もやはりイドの怪物をテーマとした作品として見ることができる。
 というか、じつは『禁断の惑星』とそっくりという気がする。
 年老いた科学者が若い娘とともに暮らしているところへ、ある青年があらわれる。娘と青年は愛し合っている。怪物があらわれ二人の仲を邪魔する。怪物の危険を認識した科学者は若い二人を逃がし、自分は怪物とともに自滅する。
 『禁断の惑星』と『襲い狂う呪い』いずれもこんな話である。
 『襲い狂う呪い』では、黒衣でベールをつけた召使の女がイドの怪物で、宇宙からの色に精神を乗っ取られていたのだろう。彼女は途中で身体が溶解してしまうが、その後再度、黒衣の女があらわれる。これはたぶん科学者の妻である。

 そんなわけで、『ゴジラ』『禁断の惑星』『襲い狂う呪い』など、怪物を生み出した(かに見える)人物が自分の悪い無意識を受け入れ、怪物とともに自滅、そのことで若いカップルを祝福する、というのがイドの怪物テーマの言わば良心的解決なのである。