『ネオノミコン』について

(ネタバレは一応の配慮はしていますが、いろいろ書いてるのでややバレ気味かもです。)

 アラン・ムーア作、ジェイセン・バロウズ画のネオノミコンを読んだ。
 私は海外コミックには詳しくなくて、一時期メビウスの本を少し集めたぐらいなのだけれども、この『ネオノミコン』は本格的なクトゥルー神話ものということで久々に買ってみたのである。
 猟奇殺人や異生物によるレイプといったシーンもあるが、描写はある程度は抑制されていて、ショッキングな残酷さだけが売り物といった作品ではないと思う。
 そしてこの作品は、クトゥルー神話用語や関連作家名がぞろぞろ出てくるので、それだけでも楽しい。だいたいクトゥルー神話好きの人間というものは長い小説に一度だけクトゥルーという単語が出てくると聞いただけでも喜んで読むような人たちなので、この大盤ぶるまいはうれしくて仕方がないだろう。

 この本は、短編「中庭」と中編「ネオノミコン」の二部構成になっている。が、ストーリーは連続したものになっているので、全体で一つの長編として読める感じだ。
 この二部構成から、私はロバート・ブロックによるクトゥルー神話集大成的作品『アーカム計画』を思い出した。
 どこが共通しているかというと、第一部で男性主人公による探索が描かれ、第二部で女性主人公によりその探索が引き継がれるという点。もちろん探索の対象はラヴクラフト的世界である。(この話半ばでの探索者の交代というパターンはロバート・ブロックにとっては『サイコ』の再利用だが、『ネオノミコン』では『羊たちの沈黙』のイメージが流用されている。)
 ただ『アーカム計画』ではルルイエへの核攻撃がひとつの山場となっているのだが、『ネオノミコン』ではFBIによる連続殺人の捜査が題材になっていて、そこまで大きいスケールではなく、主題はニューエイジ文化とその裏面のドラッグや乱交である。精神世界に踏み込んだ時のジェイセン・バロウズの絵がなかなか良い。
 そうした精神世界はコリン・ウィルソンクトゥルー神話作品『賢者の石』の背景でもあった。『賢者の石』では、クトゥルーが人間の思考を停滞させロボット化させる存在として語られ、それに対抗するのが人間精神の秘められた力である。
 『ネオノミコン』にはクトゥルー神話周辺の様々な作家名への言及があるのだが、コリン・ウィルソンの名は出てこない、その代わりに出てくるのがケネス・グラントで、その著書『魔術の復活』の中ではラヴクラフトクロウリーの類似性が語られているとか。このラヴクラフトクロウリーの連続性がそのまま『ネオノミコン』の世界で、言わば、性魔術の側に反転した『賢者の石』を経由した『アーカム計画』であり、まさしく「ルルイエは希望」の世界観なのである。
 『アーカム計画』には近未来を舞台とした第三部もあるのだが、『ネオノミコン』のつづきはどうなるのだろう。
 続刊の2~4巻『プロビデンス』は過去の1919年が舞台ということだが……。どんな内容か楽しみである。

 (以下ネタバレあり)


 ところで、この本には巻末に訳者柳下毅一郎による注がついているのだが、その〈トートかヘルメスのようなもの〉という項で「カルコサことナイアルラトホテップ」と書かれている。
 このカルコサというのは登場人物のジョニー・カルコサのことだろうけど、作中(p120)で「しゅくふぁくをおきゅらしぇておくれ。しょれでこしょないあるらとふぉてっふのけしゅんにふしゃふぁしゅい」というセリフがある。この人物はまともな言葉がしゃべれない設定なのだが、普通の言葉に直せば、「祝福を送らせておくれ。それでこそナイアルラトホテップの化身にふさわしい」となると思われる。
 このセリフからすれば祝福を送る相手、つまりメリルがナイアルラトホテップの化身ということになるのではないか?
 いや、カルコサは自分のことを言っていると取れなくもないが、どうなのだろう。ジョニー・カルコサはたしかに『アーカム計画』のナイ神父みたいな役回りだが。
 結末とのつながりを考えるとメリルが化身ではおかしいか、そうでもないか?
 クトゥルー神話といっても作者ごとに独自の設定があったりするので、どちらとも考えられると言うしかないけれど。